社会性より先に、子どもの心に必要なもの
社会性より先に、子どもの心に必要なもの
こんにちは。Mirai.α運営事務局のMaru.です。
久しぶりのコラムになります。
というのも、実は初期の頃に書いたコラムを、少し前にすべて消してしまいました(笑)。
なぜ消してしまったのかというと、「不登校」「発達障がい」「ギフテッド」について、どれほど学んでも、きっと100%すべてを知ることはできないと思うからです。
知れば知るほど、「まだまだ理解が足りていない」と感じます。
そして過去に自分が書いた文章を読み返すと、「今の自分なら、こうは書かないな」「もっと違う伝え方があるな」と思ってしまうのです。
これから書くことも、いつかまた書き直したくなるかもしれません。
それでも、今の私が大切だと思っていることを、今の言葉で残してみようと思います。
毎日、考えていること
私は毎日、Mirai.αのこと、子どもたちのこと、そしてこれからの教育のことを、あれこれと考えています。
たとえば、
「発達のペースが異なる子どもたちを一つの教室に集め、同じ内容を同じ速さで学ぶことが、本当にすべての子に合っているのだろうか」
「学年や年齢だけで区切るのではなく、一人ひとりが段階的に学び、どこまで理解し、何を身につけたのかを見られる仕組みのほうがよいのではないか」
「共働きやシングルの保護者の方が、学校に行かない子どもを安心して、無料または低価格で預けられる場所をつくるには、どんな方法があるだろう」
そんなことを、毎日ひたすら考えています。
では、その中で私が一番伝えたいことは何だろう。
ふと立ち止まって考えたとき、「ああ、これだ」と思えたものがありました。
人は、それぞれ違う道を歩いている
私は、人はそれぞれ、何かしらの役割をもって生まれてきているのではないかと思っています。
その「役割」は、必ずしも目立つものや、わかりやすく評価されるものばかりではありません。
人生の中で出会う「経験」も、よいものばかりとは限りません。
けれど、その人にしか見えないものがあります。その人が経験したからこそ生まれる視点があります。
そうした一人ひとりの存在や視点が、社会をつくる大切な「一つ」になっていくのだと思います。
私たちが異なる個性をもって生まれてくるのは、多様で豊かな人間社会をつくるためなのかもしれません。
だから、生き方も、歩く速さも、出会う経験も、人それぞれ違います。
すべての人が、同じレールの上を同じ速さで走ることはできません。
それでも現在の日本の学校教育は、「同じ年齢の子どもが、同じ場所で、同じ内容を、同じペースで学ぶ」という仕組みが中心です。
その仕組みに合わない子どもがいるとき、子どもではなく、仕組みのほうを見直す視点は、まだ十分に広がっていないように感じます。
そのことが、「学校に行けない子」「みんなと同じことができない子」という見方を生み出しているのではないでしょうか。
愛するわが子を、そのような言葉で見なければならない保護者の葛藤や苦しみは、第三者の想像をはるかに超えるものです。
少なくとも、その苦しみの一部は、子どもや家庭に原因があるのではなく、
社会の側にある「みんなと同じ」を基準にした物差しから生まれているのだと思います。
社会性より先に必要なもの
「大人になったとき、集団の中できちんと生きられるように」
「社会性を身につけられるように」
学校に行かない選択について考えるとき、よく聞かれる言葉です。
その言葉の裏に、「学校に行っていないと、社会性が身につかないのではないか」という不安を感じることもあります。
たしかに、人にとって、誰かと交流する場は欠かせません。
お子さまが心から楽しく学校へ通えるのであれば、それはとても素晴らしいことです。
人は交流の中で学び、心を育てていく。
そのこと自体を否定する必要はありません。
ただ、すべての交流が、心の成長につながるわけではありません。
心の成長よりも、もっと手前にある大切なもの。
それは「安心」です。
安心できない場所で、周囲に合わせることを求められ続けたとき、子どもは人と関わる力を育てるより先に、自分の心を守るために力を使います。
安心のない交流の場が、本当に心の成長につながるでしょうか。
安心できない居場所は、むしろ心を傷つけ、その子が本来もっている可能性を閉ざしてしまうことさえあります。
子どもたちは、まだ生まれてほんの数年から十数年です。
心が健康で、「自分は大切な存在だ」と感じられるなら、これから育っていける力は限りなくあります。
社会性は、学校に通う時期だけに身につけなければならないものではありません。安心できる関係の中で、何歳からでも、少しずつ育てていけるものだと私は考えています。
大切なのは、まず「みんなそれぞれ違う。違っていていい」と、自分にも相手にも思えることではないでしょうか。
「自分の意見」を安心して話せる場所
Mirai.αでは、メタバース内で行う「コトリタイム(朝の会)」を通して、「自分の意見をもつこと」と「異なる意見を尊重すること」を大切にしています。
毎日約25分。できるだけ一つの見方に偏らない情報に触れ、それぞれの考えを共有し、認め合う時間です。
ここでは、正解を一つに決めません。
先日は「SNSに年齢制限は必要か」というテーマを扱いました。
オーストラリアでは2025年12月10日から、対象となるSNS事業者に対し、16歳未満の人がアカウントを作成・保持できないよう合理的な措置を取ることが求められています。
そのニュースを知ったうえで、子どもたちに「みんなはどう思う?」と問いかけました。
子どもたちは、自分の考えをしっかりと言葉にします。
賛成の意見もあれば、反対の意見もあります。
迷っていてもかまいません。
メタバースという程よい距離感の中で、安心して人とつながる。
他者の意見を聞き、自分の意見も伝えてみる。
そして、違う考えがあっても、その人の存在まで否定する必要はないと知る。
それもまた、社会性を育てる大切な経験ではないでしょうか。
小さな取り組みから、少しでもよい未来へ
どの人も、どの命も大切であるように、どの意見にも耳を傾ける価値があります。
その感覚は、これからの日本にとって、ますます大切になっていくのではないかと思います。
いじめや戦争は、簡単にはなくならないかもしれません。
それでも、子どもたちが大きくなったとき、今より少しでもよい未来が待っていてほしい。
ただただ、そう願っています。
そして、ほんの小さな取り組みであっても、Mirai.αで積み重ねている時間が、その未来のどこかで少しでも生かされることを、心から願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Maru.
参考:オーストラリア eSafety Commissioner「Social media age restrictions」
https://www.esafety.gov.au/about-us/industry-regulation/social-media-age-restrictions

