コラム

不登校の息子のこと

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皆様、こんにちは。代表のMaru.です^^

サイト内の代表あいさつを見ていただいた方はわかると思いますが、
私は、不登校児童の保護者でもあります。

第一回目なので、今日はそんな息子について、お話をしたいと思います。


長男は、産まれたときから、少し変わった子でした。


まず生後3日で、コットで寝ることはなくなり、、


母乳をあげても、どれだけミルクをあげても、コットに置くとただただ泣くばがりで
困り果てた私に、助産師さんが優しく
「この子は、ママと一緒にいたい子なのかもね」と
添い寝(乳)の方法を教えてくれ、実行してみると、それまでが嘘のようにすやすやと寝てくれました。

(その助産師さんの神対応には今でも感謝)

そして退院後、自宅での生活が始まると、生後一カ月も経たないうちに、社会的微笑が始まりました。

息子は常に下から、目をキラキラさせて私を見つめ、私がニコッと笑うと、顔をくしゃっとさせて笑い返してきました。

息子はこっちを見てほしいと言わんばかりに、あまりにも常に下から期待いっぱいに見つめてくるので、
「これはどうしたもんだろう」と思いながら、何度も何度も息子に笑顔を向けたことを覚えています。

また、息子は、異常なほど寝ない子でした。

寝るのはごく短時間で、私とくっついていないとすぐに目を覚まし、地獄にでも行ったかと思うほどの大・大・大声で泣きました。
あまりにも離れる隙がなく、夜トイレに行くのにも苦労して、一時は私がオムツを履くべきかと悩んだほどです(笑)
夜も昼も、ひたすら抱っこして過ごしました。

アメリカ式の「泣いてても赤ちゃんをあやしに行かない」などの本も読みましたが、
読んですぐに私には向いてないと判断し実行しませんでした。


ほかにも色々とあります。

・ベビーカーは拒否。手遊びのおもちゃを持たせても5分が限界。
・チャイルドシートは乗せてから降りるまで、眠ることなくずっとギャン泣き。(出かけると家族全員、お葬式状態に。)
・おんぶすると、気付かないうちに興味をもった物を掴んで危険。
・私にべったりで、ほかの人は断固拒否。(2歳半頃までは続きました。)
・退屈がとにかく嫌い。ねんねの時期も常に手足をバタバタ。手遊びのおもちゃは必須。
・食べてくれる物が限られている。(今でも)

そして、今でも友達との間で話題にあがるのですが、
息子は、常に眉間にしわを寄せている赤ちゃんでした。(笑)

どこに行っても、眉間にしわを寄せて、キョロキョロと見まわし、怪訝な表情を浮かべていました。

そんな息子を見て「発達障がいだろうなぁ」と思い、
自宅で積み木を積み重ねることもできなかったので、きっと健診で指摘されると思っていたのですが、
息子は毎回健診になるとなぜか俄然やる気を発揮し、何も指摘されることなくパスしていきました。

家族的にはちょっとめんどくさい、本番に強いタイプです。

そうして、特に何事もないまま、3歳で保育園に入ることになりました。


保育園に入った初日、息子は「バイバーイ」と笑顔で私とハイタッチして、楽しそうに登園しました。

しかし一週間が経った頃には、駐車場に着くなり震えだすように。

お迎えに行っても、息子の顔には表情がなく、以前のあの明るい息子はどこに行ってしまったのだろうと、
母親として心配せずにはいられませんでした。

コロナ渦ということを利用して、園をしばらくお休みしましたが、さすがに長くは通じません。
園から退園に関するお電話がきました。

私は仕事があるので、家族内で相談し、一緒に暮らす父が、日中息子を世話をしてくれることになり、
退園の手続きを行いました。

3か月後、近くの私立保育園がこども園に変わるとのことで、急遽申し込みを行い、翌年の4月にこども園に入園しました。

その頃、大きな病院の発達外来に受診を申し込み、「発達障がい」の診断。
後になって、高IQが判明しました。


休み休みしながらも、なんとか年中さんをやり過ごし、安穏の日々。


ところが、年長さんになってしばらくすると、またあの、保育園に入った直後の”表情を失った息子”が現れ、
登園時は毎回大泣きして拒否をするようになりました。


今思えば、ですが
息子は、園での指導の変化についていけなかったのです。

「就学前」である「年長さん」に対する、就学した後に困らないように、集団生活がきちんとできるように、という大人の配慮を、
息子は理解することができず、
なぜこれまで甘やかしてくれた先生が急に厳しくなったのかわからないまま、怖い気持ちだけが先にきてしまったのだと思います。


高IQと聞くと、「何も心配ないじゃん」と思われがちですが、
息子の場合は同時に発達障がいも併せ持っているので
発達の凸凹がより激しい凸凹になっています。

”できること”と、”できないこと”の差が、極めて大きいのです。

周囲からは達者にみられる息子ですが、
未だに箸も上手に使えません。

発言や対応は大人っぽいですが、精神的には幼さがだいぶ残っています。

そんなアンバランスな状態に、本人も戸惑いやストレスがあることは、言うまでもありません。


そうして、年長さんの間、まともに園に通うことができないまま、息子は一年生になり、

興味が強い子なので、最初こそ登校しましたが、7月にはほぼ行けなくなりました。

1年の2学期から2年生おわりまで、ほぼまるっと不登校です。

現在は3年生ですが、担任の先生が配慮してくださっているということや、
家族の目から見ても明らかにエネルギーが前より増えているということもあって、学校にはぼちぼち行っています。


正直なところ、私自身は、息子が学校に行くことを目指してきた訳ではないので、
「学校に行けるようになった」という表現をすることには若干の抵抗があって
息子が行きたいと言うときは「ならいっといでー」くらいの感じで、ゆるりとやっています。

学校にはまた行けなくなるかもしれないし、それで一喜一憂することはありませんが、
ただ、前述の「息子のエネルギーが増えた」に関しては、思いのほか喜んでる部分があるかもしれません。


「外で運動する!」とか「ちょっと散歩してくる!」とか
「砂で遊ぶ!」とか「水遊びする!」とか
そういう日常のなかでの遊びパワーが明らかに前より上がったと思います。


以前の息子は、それこそゲームばかりでした。


あくまでも個人的な意見ですが、
大人も疲れていたりすると、安易なもので楽しみたくなる傾向があるなぁと思うんですよね。

体を動かさないもの、体を動かさなくても簡単に刺激を受けられるもの、
そういったもので満たそうとするところがあるなと。

なので、子どももそうなのかなと思っています。


ゲームに関してだったり、その辺のことは、またおいおい私見を述べたいと思っています。



大切なのは、

自分自身が「受け入れられている」と、そう感じながら成長できることだと思います。


ひとは「認められたい」生き物ですから、
「否定」されて生きるのは、本当に辛いです。


ADHDのとある大人の男性が、こう仰っていました。

「私は、自分がADHDであることに対して、ネガティブな気持ちがなく生きてこれた。
それは、私の母が、とてもおおらかな人だったことが大きいと思う。」と。

この言葉は、ある意味、私の指標になってきた気がします。



長くなりましたが、本日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございました☆

Maru.

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