不登校というワードが与える影響

皆さま、こんにちは。代表のMaru.です^^
本日は、「不登校」というワードについての話です。
「不登校」という言葉について、皆さんはどんな印象を受けますか?
私は息子が不登校になったとき、知人からこんなことを言われました。
「不登校って、アメリカだと親が法的に責任を問われるよね。」
不登校を受け入れている私への批判だったのだと思います。
私はその言葉を聞いたとき、知らなくて当たり前か…と思いながら
説明するのが面倒で、「そうだね。」と笑いました。
疑問に思いませんか。
「ちょっと待って。…アメリカってホームスクーリング認められてなかったっけ?」と。
そうなんです。
海外では、「不登校」と「ホームスクーリング」は別なのです。
国によって対応が様々異なります。
①「ホームスクーリング」を認めていて「不登校」に対する罰則はない国
②「ホームスクーリング」は認めているけど「不登校」に罰則を与えている国
③「ホームスクーリング」も「不登校」も認めていない国
④「ホームスクーリング」は認めていないけど「不登校」についての罰則はない国
アメリカの場合には、①になると思います。(州によっても異なります)
日本については、長年④だったのを、不登校の急増に伴って、①よりの施策に変更した感じですよね。
出席扱い制度によって。
ですが、完全に①とも言えない。
なぜなら、「ホームスクーリング」という括りが、日本には存在しないから。
日本では「ホームスクーリング」が「不登校」に含まれるわけです。
なので、冒頭の知人の発言のような、混同や誤解が生じてしまいます。
そもそも!
私は「不登校」というワードが好きではありません。
この「不登校」というワード自体が、
子どもたちの”尊厳”を傷付けているように、どうしても感じてしまうのです。
ネガティブな印象を受けてしまう。
そのネガティブなエネルギーが子どもたちにも伝わってしまう。
ですから、本当はホームページにも記載したくないんです。
一般常識的に「不登校」というワードがなければ、なんのスクールかわからないので、
やむを得ず(ガンガン)使っていますが。
「不登校」と言うと、「学校に行けない」という否定的な感じですが、
「ホームスクーリング」と言うと、「自分で選択している」そんな印象を受けませんか?
そう思うのは私だけでしょうか。
私は、言葉の与える影響は大きいと思っています。
そこにいる当事者の心にも影響する部分のように思います。
アメリカやイギリスでも「ホームスクーリング」を選択する子どもが急増していますね。
なぜ増えたのか?ということに対する様々な専門家の分析や意見があると思いますが、
私自身は、当たり前の流れだと思っています。
人類・社会・文化の「進化」です。
(こういうことを言うと、あちらこちらから批判が来そうですね。笑)
社会の発展には、自然と進もうとしている方向があります。
良くも悪くも、人がその流れに抗うのはとても難しいこと。
それを受け入れながら、より良く発展させていくことが、人類の使命です。
きっと今は、そんな過渡期なのではないでしょうか。
それにしても「不登校」というワード、どうにかならないものでしょうか。汗
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Maru.